2008年12月3日水曜日

幸運の女神のジョギング・ルート

記述日時:2005年11月12日13:00

上野国立博物館でやってる「北斎展」に行った。
画集を持っている程度に北斎には興味があったので二回券を前売りで買ったんだけど、一回で十分だったかも。

とにかく人、人、人なのだ。
大体300点ほどが展示されてたんだけど、6人/1点くらいの人口密度。ちなみに自分が行ったのは平日の午前10時。この時間帯でこの混み様なのだから午後や土日は想像するのも恐ろしい。人口比は、とにかく元気なシルバー60%、学校の課題で来ている学生15%、何故平日の昼間ヒマなのか不明な社会人風の小綺麗な女性10%、同様に何故平日の昼間ヒマなのか不明な、かといって知りたくもないむさ苦しい男性(自分も?)10%、先生に引率されてイヤイヤ来たクソガキ共5%といったところ。タダ券や付き合いで来た人を奈落に落とせば、かなり快適になるだろう。

でも展示品の内容は素晴らしく、1点1点丁寧に見ていったら4時間もかかってしまった。ギャラリーを出ると更なる人の波がこちらに押し寄せてくるのが見える。きっと午後の人口密度は10人/1点じゃ収まらないだろう。

ところで「美術館でずっと自分と同じペースで見て回った異性に好意を持つ」というマーフィーの法則はないのかな。アメリカのとある調査で、結婚したカップルが出会った場所の1位が「本屋」だったらしい。それを読んだとき「日本じゃありえねぇ〜な〜」と思ったけど、美術館でもそれは難しそうだ。何時間も趣味の時間を共にしながら、来たとき同様にお互い独りで帰ってゆく・・。“北斎展”で検索して読んでくださっている方には申し訳ないが、上野の杜の中にある「伊豆栄・梅川亭」で鰻丼を食べながら何故か思考はそんな下らない方向へ脱線していった。

文化的なシチュエーションでの出会いには“軽薄さ”を払拭する“偶然”が不可欠だ。偶然同じ本に手を伸ばすなんていうのは古典的すぎてナンセンスだけど、それが特殊な専門書店だったり、旅先で入った本屋だったりすると“偶然”の希少性が高まって“エクスキューズ”として成立する。

実際、むかし独りで日本庭園巡りの旅をしたときにこんなことがあった。とあるマイナーな寺の入口で自分の前で拝観料を払っていた女の子がいた。庭は広いのでそこで彼女とすれ違ったりすることは無かったが、次に向かった少し離れた寺でも同じシチュエーションが繰り返された。お互い「偶然ですね」というような笑みを浮かべ、自然とその後のスケジュールを共にすることになった。彼女は特に日本庭園に興味があったわけではなく、僕が持ち歩いてた『図説・日本庭園の見方』なる本を見て苦笑していたが、いろいろ話してみて共感できるセンスをお互いに持っていることが判った。東京に戻ってからも彼女との付き合いは続いたが、“不幸な偶然”が重なってある日突然終わってしまった。

なんか事例を挙げるつもりがついつい追憶モードになってしまったが、何が言いたいのかというと「文化的なシチュエーションでの出会いは極めて狭き門だが、偶然の助けを借りれば通常以上に実りあるものになり得る」ということ。つまり“幸運の女神が目の前を走り過ぎたら躊躇無く脚を出して転ばせて馬乗りにした上で前髪を掴め”ってことですね。

上野の杜独特の陰気さから逃げる様に上野広小路に出る。その名の通りここは江戸時代、火事の延焼を防ぐための広場が盛り場に転じたところだが、今では品のない雑居ビルが連なる猥雑な界隈だ。ちょっとぶらつこうかと思ったけどやめた。地下鉄の階段を下り、今日掴み損ねた前髪を考えながら家路についた。

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