2008年12月8日月曜日

バーホーベンとカラヴァッジョ


記述日時:2007年04月03日00:36

オランダ映画「ブラックブック」を観た。

第二次大戦中のオランダを舞台にナチスとレジスタンス、ドイツ人、オランダ人、ユダヤ人、そして男と女が織りなすスピーディーなサスペンス。“映画好き”の人にはかなりオススメできる映画だ。しかし“映画の日”なのに70席の小ホールが埋まらないところを見ると、一般受けする映画ではないのかもしれない。

僕はここ10年くらい、この映画の監督のポール・バーホーベンが気になって仕方がない。この人は一般的には“変態監督”として知られているらしいが、同じ“変態”でもラース・フォン・トリアーみたいに幼稚な感じはしない(「奇跡の海」は大好きだけど・・)。

とは言っても僕自身、彼のアメリカでの出世作である『ロボコップ』を観たときは正直、吐き気に近い嫌悪感を感じた。嗜虐的な暴力とセックスの描写に「この監督はイカレている。こんな奴は逮捕されるべきだ」とまで思ったものだ。

しかし・・1997年の「スターシップ・トゥルーパーズ」を観て、この監督に対する認識は180度転換した。人間と戦争の本質を鋭く批評し、しかも娯楽性に溢れたこの作品は僕の知る限りに於いて「史上最高の戦争映画」だ。

その後改めて『氷の微笑』などの旧作を観てみると、公開当時は単なる“商業的センセーショナリズムに毒された俗悪さ”と感じられたものの陰に、この監督の深謀遠慮が隠されているのに遅ればせながら気付いた。

簡単に言えばバーホーベンは究極の“写実主義者”なんだと思う。人々は彼の映画に繰り返し登場する“俗悪な残虐性”を嫌悪し批判するが、現実の戦争は間違いなくもっと残酷で、人間の俗悪な行為がニュースで流れない日はない。映画という娯楽性と商業性を多分に内包する芸術形式においては、一切の美化を排除した“リアリティ”というものは歓迎されないのかも知れない。しかしバーホーベンが挑戦し続けているのは正に“人間性の掛け値なしの描写”なのだと思う。


この辺は僕の大好きなイタリア人画家カラヴァッジョと通底するものがある。彼はキリスト教絵画の中に赤裸々なリアリズムを導入したが、それらは当時の聖職者達の激しい拒絶反応を引き起こした。

しかし、カラヴァッジョが決してキリスト教を否定していたわけでは無かった様に、バーホーベンも別に人間嫌いなわけではないだろう。むしろ複雑で、簡単に善悪では判別できない“人間という生物”に興味が尽きないんだろう。

彼の映画には一貫した批評精神が常にある。カラヴァッジョ同様に、表面的な残酷さや俗悪さで嫌ってしまうにはあまりにもったいない“現代の巨匠”じゃないだろうか。しかし、カラヴァッジョがごくごく近年になって再評価されるまで“忘れられた画家”だったように、バーホーベンが巨匠として認知されるのも当分先のことなのかも知れない。

また一方で、彼のそういった指向性とハリウッドの商業主義が“センセーショナルな暴力とセックス”という一点のみに於いて“不幸な結婚”をしてしまったことに監督自身も忸怩たる思いだったらしく、今回の『ブラックブック』ではハリウッドを離れ、母国オランダで制作をしている。

ヨーロッパ映画は往々にして哲学的、形而上学的な迷路にはまりやすく、娯楽性を軽んじて映画という大衆芸術をかえって矮小化してしまう傾向があるように思える。だからヨーロッパ人監督がハリウッドで体得した“大衆にアピールするノウハウ”を母国に持ち込めば、世界の映画市場の3分の2をハリウッド映画が独占するいびつな現状を変えるきっかけになるかも知れない。

それはともかく、バーホーベンの様に理屈抜きでも理屈込みでも楽しめる(芸術性と娯楽がイーヴンに結合した)映画を作れる監督はそうそういない気がする。次回作が楽しみだ。

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