2008年12月8日月曜日

音楽との付き合い方

記述日時:2006年12月26日17:38

昨晩、友達とブルーノート東京に行った。

こういう高級(?)ライブハウスは初めてだったけど、最近こういう形態がウケている様子。丸の内のコットンクラブや今度できる東京ミッドタウンにも同様のクラブが入るみたいだし。

クリスマスということもあるのかも知れないけど、イヴニングドレスを着た女性もチラホラいて華やかな雰囲気。隣のカップルはおもむろにプレゼント交換を始めた。

どうやら今夜の客層はおおまかに二つに分かれそうだ。クリスマスとかは関係なく、出演ミュージシャンがとにかく好きで来たパターン。一方はファンの彼氏がファンではない彼女を誘って、ライブとクリスマス・イベントの一石二鳥を狙ったパターン。

僕はどっちだろう?まだ注文を決めてないのにウェイトレスを呼び止め、何にしようか長考する悪い癖のある目の前の友達を見れば、後者でないことは明らかだ。

ここ数年、僕にとってクリスマスとは“ヨメと実家に帰ってケーキと御馳走を食べて、お酒を多目に飲む日”という位置づけに過ぎないので、クリスマスをイベントとして有効活用しようとする大勢の人を観て何か新鮮な気持ちにさせられる。

しかし、今晩のこのブルーノートに限っては、そういったカップルの思惑は完全に裏切られたに違いない。

“Sweet Christmas Nights”と銘打たれているにもかかわらず、一曲目から客を煽りまくって、一瞬にして総立ち状態。シッポリ聖夜を楽しもうと目論んでいたカップルの目は点。座っていると何も見えないので、仕方なく立って身体を揺らすイブニングドレスの女性。かたくなに“我関せず”を貫きディナーをつづけるカップル。

うーん、どうやら今晩がラスト・ステージだというのに、このミュージシャンは全く主催者側の主旨と一部の客のニーズ、つまり空気を読めてない。てゆーか、そんなイベントのBGMとして消費されるのを拒否してるかのようだ。

そのミュージシャン、ジョニー・ギル(Johnny Gill)は知っている人には説明の必要が無く、知らない人には説明してもしょうがないタイプのシンガーだ。つまりその手の音楽が好きなら知らないわけはないし、知らないと言うことは、その手の音楽がそれ程好きじゃないって事だからだ。

僕がジョニー・ギルを知ったのは20歳くらいの頃。友達の部屋で12インチ・シングルを聞かせて貰ったのがきっかけだった。それほどファンだったわけじゃなかったけど、僕の記憶の中でその友人とジョニー・ギルは強く結びついていた。歳をとってその友人との関係も変化したが、先日偶然にその結びつきが甦った。

ひさしぶりにその友人と電話をしていた。いつものように仕事の話だったが、友人が最近接待でブルーノートに行ったと言う。モニターを見ながら電話をしていた僕は、ふとブルーノートのサイトをチェックしてみた。すると年末にジョニー・ギルがブッキングされてるじゃないか!久しくそんな話題で盛り上がったことが無かった僕らだったが、その一瞬はまるで学生時代に戻ったようだった。

当時、若手実力派スターだったジョニーも今ではすっかりチャートとは無縁になり、レコードも出さなくなった。もうてっきり消えたものと思っていただけに、ステージで暴れまくる姿は往年のファンには嬉しい驚きだったに違いない。彼の代名詞だった歌の巧さと迫力は健在だった。

若い頃は年輩の人が音楽を通して過去を振り返りたがるのを、なんとなく気持ち悪く思っていたが、今では完全に理解できるし、それが“音楽”の一つの基本的機能だとも思う。しかし、ジョニーが1時間きっかりでステージを降り、アンコールもやらないのを見たときは少し考えさせられた。

やはり音楽を人生名場面のBGMだけに留めるのは面白くない。たまにはそれも悪くないが、やはり今現在の生活を彩る“現在進行形”であってこそ音楽は楽しい。

それに・・1時間のステージで一万円(飲食代別)はやっぱり高いんじゃない?クリスマスってやっぱり商業主義的なイベントだと再確認。でも好きなアーティストが来たら、また行ってみたいかも。

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