2008年12月8日月曜日

ブランド神話を考える

記述日時:2007年04月20日17:26

僕は結婚指輪以外にいわゆる“ブランド品”を持っていないよーな人なので、正直ブランドにはあんまり興味ないんだけど、仕事の必要からここ一ヶ月くらい「ブランド」について色々と調べていた。

とっかかりにヨメが持っていた電話帳のようなファッション雑誌「Precious」に載っている海外ブランドの広告を調べてみた。数えてみると海外ブランドのカラー広告は全部で28社、56ページあった。ブランド毎のページ数は以下の通り。

9p・・・CHANEL
4p・・・GUERLAIN、DE BEERS
2p・・・DIOR、FENDI、CELINE、VALENTINO、DOLCE & GABANA、DONNA KARAN、TIFFANY & CO.、BURBERRY、BOTTEGA VENETA、HERMES、YVES SAINT LAURENT、BROOKS BROTHERS、ARMANI、ESTEE LAUDER
1p・・・CARTIER、PRADA、SALVATORE FERRAGAMO、LOUIS VUITTON、LORO PIANA、FRED、JIL SANDER、VALEXTRA、BVLGARI、ANTONINI、AKRIS PUNTO


ブランド単体で見るとシャネルの9Pが突出していて、ヴィトンなどは意外と少ないし、何故かグッチは抜け落ちている。しかしこれを国別に分類してみると・・・

イタリアのブランド・・・11
フランスのブランド・・・9
アメリカのブランド・・・4
イギリスのブランド・・・1
ドイツのブランド・・・1
スイスのブランド・・・1
南アフリカ・・・1


ブランドと言って思いつくのはフランスイタリアだけど、やはりこの二ヵ国はこの分野において群を抜いている。

また、違うブランドでも実は親会社が同じというパターンも多い。ここ15年くらいで激しいM&Aが行われ、大きく3つのブランド・グループに収斂されたようだ。各グループの傘下ブランドをリストアップしてみると・・

LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)・・・GUERLAIN、DE BEERS、DIOR、FENDI、CELINE、DONNA KARAN、LOUIS VUITTON、FRED、LOEWE、EMILLIO PUCCI、CHRISTIAN LACROIX、GIVANCHY、MARC JACOBS、KENZO、CHAUMET、OMEGA、TAG HEUER、ZENITH などなど(他にも酒類でモエ・エ・シャンドン、ヘネシー、ヴーヴ・クリコ、シャトーディケムなど。小売業ではDFSやサマリテーヌやボン・マルシェなどパリの高級百貨店も所有)

グッチ・グループ・・・GUCCI、BOTTEGA VENETA、YVES SAINT LAURENT、BOUCHERON、BALENCIAGA、SERGIO ROSSI、STELLA McCARTNEY、ALEXANDER McQUEEN、BEDAT & CO. などなど

リシュモン・グループ・・・CARTIER、CHLOE、MONT BLANC、VAN CLEEF & ARPEL、DUNHILL、SHANG HAI TANG、LANCEL などなど(他に高級時計ブランドも多数所有)

このグループから「Precious」の広告を分類すると、

LVMH・・・18p
グッチ・グループ・・・4p
リシュモン・グループ・・・1p

となってLVMHが全体の32%を占めていることがわかる。こうやって見ると、ブランドと縁遠い僕でも今までの人生で知らず知らずLVMHの売上に貢献したことに思い当たる。モエのシャンパンで悪酔いして道端で吐き、ケンゾーのハンカチ(ライセンス製品)で口を拭いた夜。ワイキキのDFSでしょーもない土産品を買ってしまった新婚旅行、そしてNYひとり旅の際、ヨメの御機嫌取りに五番街でエアーチケットより高いヴイトンの財布を買ったとき・・

一人の職人から細々と始まったブランドも今や国際的コングロマリットの一部なのだから驚きだ。強気の価格設定が可能という意味ではアップル(コンピュータ)と通じるものの、その利益幅は通常の一般製造業とは比較にならない。もはやこれはグローバル経済における究極の「高付加価値産業」といえるかも知れない。





・・しかし、こうしてブランド産業の裏側をいろいろと調べてみると、改めて“ブランド”って何だろう?という疑問が湧く。勿論、クオリティが高いというのはブランド品の必須条件だが、それだけではあの値段は取れない。例えば、ブランド品と全く同じ品質のバッグでもブランドのタグが無いだけで価格は10分の1以下になる。

すると、ブランド品がまとう特別の雰囲気、というか権威のようなプライスレスなものが魅力なのだろうか?しかし、これも調べてみるとその“権威”の出所というのは結局、王室や有名人にかかわるエピソードが時間を経て神話化した場合が多い。王室御用達だったから、貴族社会で人気だったから、ハリウッド女優が映画の中で着用したから・・etc。これらも“名声”というものに懐疑的な僕のような人間にはピンと来ない。それに王族・貴族の権威というのも本来かなり胡散臭いもののはずだ。

“ブランド神話”はその起源から時間的に隔たれば隔たるほど、確固としたオーラを纏うものらしい。全ての老舗ブランドには創業者にまつわる伝説や、過去の有名人顧客たちのエピソードが存在する。伝聞されるにつれて、それらは本質から遊離し、曖昧でミステリアスな霧に包まれるようになる。つまりブランドの価値とは、その伝説をいかに魅力的で価値あるものとして維持できるかにかかっている。そしてそれは当然ながら操作可能なものなのだ。

となると、現在これほどまでに人々の心を捉える“ブランド”とは一体何なのか、という疑問はますます深まる。世の中のブランドを購入者達が皆が皆ブランドの神話に惚れ込んでいるわけでもないだろう。ブランドに関する本を何冊か読み、ネットで検索し、銀座のブランド・ストリートをつぶさに歩いてみて、僕は漠然とそれは「安全圏の中での自己差別化」ではないかと思えてきた。

一定の品質に下支えされてはいるものの、ブランドの権威は本質的に脆弱だ。しかし紙幣といっしょで皆が「これは価値がある」と認めている限り、ブランドは絶対的な効力を発揮する。高度産業社会の中で労働者として没個性化・均質化した大衆は、その中で自己を他者から差別化する一手段として「ブランド」を利用するのかも知れない。特に平均値から逸脱するほどの個性は望まない人ほど、マジョリティから認められた権威である「ブランド」を纏うことによって自己を差別化したがるのではないだろうか。そうすれば、社会にちゃんと参加している気持ちになれると同時に、その社会における自分の独自性、優位性を確認できるからだ。文章にすると身も蓋もないが、シンプル故に強力なモティベーションたり得るとも言える。


最初、仕事でブランドのリサーチを始めたときは「興味ないな〜」と乗り気じゃなかったけど、だんだん自分が理解できなかった“ブランド好きな人”の心理を探れて面白かった。でも“ブランド好きな人”から見たら「そんなの当たり前でしょ!」の一言で済まされそうな気もするけど・・

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